『新潮 2018年8月号』

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新潮に、エッセイ。なんとまあ。という感じなんですが、掲題の雑誌にエッセイを寄せさせていただきました。
なんかこう、新潮に、エッセイ! という感じがして、なんかこう、すごいすごい! え、すごくないですか!?みたいな、これで店に箔みたいなやつつかないかな! みたいな気分がちょっとあって嬉しいんですが、フヅクエを始めたときから僕はあの、商圏なんてそんなもん日本全国や!全国の読書好きの聖地になるんや! と言っているのですが、こういう、そういうことで、なんかこう、一歩近づかないかな、と思って、なので、がんばれフヅクエ、どんどんいこうぜ、と思っているんですが、それはそうと新潮ですよ、いややっぱり新潮はなんていうか別格というか格別というか、すごい存在というか、巨人というか、たぶんそれは新潮文庫の存在が大きい気がしていて、夏目漱石とかドストエフスキーとか、なんか「こういうものが文学というやつかな、こういうのが立派なのかな」みたいな、わりと早い段階で目にするなんかこわそうな本はわりと新潮文庫だった気がしていて、だからたぶん漱石っていつ読んだのか覚えてないのだけどドストエフスキーというか『罪と罰』は高校生のときだった、なんか明るいピンクに近い赤のカバーの小さい手帳というか日記帳だったのかなあれは、に、読んでいる時期に、なにかを書きこんだ、ということだけ覚えていてその時分にどんな気分で『罪と罰』を読んだのかはまったく覚えていない、高校生の時、きっと立派な文学、みたいなところでドストエフスキー読んで、みたいなそういうところから新潮は立派、偉大、みたいな刷り込みは始まったのだろうと今思えば思う、というそういった新潮。というそういった偉大な新潮社の文芸誌『新潮』、そういったそんなところで文章を書くなんていう機会が自分に訪れるなんていうことは考えもしなかったことなので、考えていたらかなりすごいというか、「本出たりするし、俺そろそろ新潮でなにか書きそうな気がするんだよね」とか言っていたら図太いというか厚かましいというか、この人きっと幸せだろうな〜と思う、そういうの嫌いじゃないなと思う、その前向きさに好感をいだかずにはいられないと思う、そういう程度によくわからない明るさがあっていいなと思うんですが、だから、でもさすがに思ってもみなかった、思ってもみなかったことなのでたいへん驚いたというかたいへん光栄というか「すごいな俺」と思うのと「すごいな新潮」と思うのと、あって、あったんですが、というところでたいへんがんばってかきました。
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