案内書き刷新のほんとうの革新について

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こちらの記事でお伝えしたとおり、12月1日に「本の読める店」が再定義され、案内書きが刷新された。
長らく、長時間の滞在を前提にした変動的な席料制が唯一のフヅクエの過ごし方だったが、ここに、「1時間だけぎゅぎゅっと読みたい」という人を迎えやすい仕組みを加えた。
それはこの店が幸せにしようとする対象を変えるための手続きだった、というか、その対象を、「本の読める店」としてより正しいものにするための手続きだった。
「今日はがっつり本を読みたいぞ〜という人」から、「愉快な読書時間を過ごしたいすべての人」に変わった。
これは僕の中では期を画する変化で、こんな場所に至れたとはなあ、と、強い興奮と感慨があった。怯えも少しはあったか。
刷新から2週間ほどが経って、ここまで、とてもいい感じだと感じている。ちょっと時間が空いたちびっこの親御さんだとか、仕事の合間のスーツの方だとか、あるいは飲み帰りの帰宅前の1時間だとか、これまでだと難しかった(というか僕から見ると「え、この短時間でこの値段だと、高くないです? 大丈夫です?」と心配になっていた)シチュエーションの方々が来られて、そして目論見通りに、ナイスな1時間の読書をしてくださっている。
それは目論見以上かもしれなくて、1時間読書を選択される方は、なんというか、長時間過ごされる方とはまた違う感じがあって、時間が限られていることがそうさせるのか、「この1時間のやつで」という宣言が行為に影響を与えるのか、なんというか、入りが早く、強い。オーダーされると、たちまち本を開いて、ざぶん、と本の世界の中に潜っていくような感じがある。
それがすごく新鮮だったし、また、そう期待していたとおり、過ごす時間の長さは異なれど、みんなが本を読んで過ごしている。その景色さえ生み出せれば、これまでと変わらない強いグルーヴみたいなものは生じ続けているように思う。今回の変化によって、がっつり長時間読みながら過ごす人たちの何かを毀損しているようなことは、起きていないと思っている。
そんなわけで、よっしゃよっしゃ、と思っているわけなんですが、今回の刷新は、この、「短時間の読書にも開く」がもちろん一番の変化ではあるんだけど、いや、でももしかしたらこっちこそが一番大きな変化かも、というものが実はあって、それは案内書きとメニューの順番を入れ替えたことだ。
というわけで並べて置いておきます(比べやすいので下北沢バージョンで)。
刷新直前の版
12月13日時点の版
刷新以前の版では、「「本の読める店」の基本的な説明」「ご協力いただいているいくつかのこと」「置いている本の閲覧について」「お支払いの仕組み」「より快適に過ごしていただくためのあれこれ」がまずつらつらとあって、飲食のメニューが始まるのは27ページになってやっと、だった。これは、「まずはフヅクエという店を了解してほしい、普通の店じゃないから、まずちゃんと知ってほしい、その上で十全に満喫していってほしい、また、読んだうえで、過ごすも帰るも決めてほしい」という考えからだった。冒頭に、ウェブサイトとかを通して店のことをおおむねご存知であれば読まなくてもいいしあとで読むのでもいいし、とは書いていたけれど、基本としてはまず読んでほしい、まずインストールしてほしい、と思っていた。
これは『本の読める場所を求めて』の中でも、まず案内書きを通して「本の読める店」というプログラムをインストールしてもらうことがとても大事で、それを通して、一見さんであろうとなんだろうと、その時間を楽しめるようになる、みたいに書いていたような記憶がある。店の根幹をなすものだとずっと思っていた。
それを、今回大きく変えた。開いてすぐ、「「本の読める店」とは」というページがあって、そこには「愉快な読書の時間のための店です」「静かな時間をお過ごしいただけます……p.27」「ゆっくりゆっくりお過ごしいただけます……p.36」「短時間ぎゅぎゅっと読書プランも……p.40」という項目が立てられ、それぞれ数行の説明がある。そしてすぐに、飲食のメニューが始まる。店のことをあれこれ記した「案内書き」は25ページになってやっと登場する。
ここで選択した態度はこういうものだ。
「ここが「本の読める店」であることはご存知だと思うし、本を読みたくて来てくださったんだと思う。オーケー、それで十分。この店のことを知ろうと知るまいと、なんであれ、本を読んで過ごしてくださる以上は、きっと満足してもらえると思う、充実した読書の時間を過ごしてもらえると思う。どうして静けさが約束されているのかをもし知りたければ27ページあたりを見ていただいたらいいし、どうしてゆっくりゆっくり過ごせるのかをもし知りたいなら、36ページからのところだ。短い時間の読書をご所望なら、40ページをチェックしてもらったらいい。読んでもいいし、読まなくてもいい。どちらにしてもいい読書の時間を過ごしてもらえるつもりだ。細かに知りたければ、手の内は全部書いてあるから、目を通してもらったら、この時間をもっともっと深く楽しめるかもしれない。でもそれは、おまかせします。なんであれ、楽しい読書の時間をどうか過ごしていってくれ」
この口調はいったいなんなんだろうと思うのだけど、とにかくこんな感じで、これは、大きな大きな変化だと思っている。殻をひとつ破ってみた感覚。なんかすごい跳躍をしてみちゃった感覚。
これまで僕はずっと、「本の読める店」というプログラムをちゃんと走らせるためには、参加者にコードを読んでインストールしてもらう必要があるとばかり思っていたし、実際、ある程度はそうだったんじゃないかとも思う。
だけど、なんかもう、実はこのプログラムは、「本を読んで過ごしたい」という気持ちを持ってやってきてくれる人がいて、そしてその人たちに対して簡単な言葉をいくつか用意さえすれば、ほとんど不足なく走るようになっているんじゃないか、とあるとき、天啓みたいに、思って、もしそうであるならば、なにもすべての人にソースコードを読んでもらうこともないし、そしてそうであるならば、それはなにも前面に出ている必要はないし、なんなら過剰だ(という、ソースコードとか言葉の使い方がこれ正しいのかわからないのだけど……)。
この場を統べ、その成立を支えているコードは、次第に空気の中に溶けていく、意識されないものになっていくのが、美しい姿なのではないか。
(とはいえ現時点の僕は、どこまで行っても、現在20ページ以上に渡って連ねられている、「本の読める店」を「本の読める店」足らしめている言葉たちを完全に消去する日が来る気はしていなくて、初めての人でも久しぶりの人でも、ふと、あれってどうなってるんだっけ、と思ったときに、その不安や不確かさを解消して気持ちよく過ごしてもらうための、立ち返ることのできる場所は、用意されつづけているべきだと思っている)
そんなふうに思って、まだ全然時期尚早かもしれないけれど、と思いながらも今回、こんなふうに順番を組み替えてみたわけなのでした。これは、ここに来てくれた人たちは、本を読みたい人、あるいは本を読むのもやぶさかではないと思ってくれる人だと勝手に措定しちゃうこと、とりあえずそう信じてみちゃうことであって、それをしちゃっても大丈夫な気がする、と思えたことが可能にした跳躍でした。
僕はこれこそが今回の刷新においてもっともフヅクエにとって革新的な変化だったような気がしていて、のちのち、あれがフヅクエの可能性を広げる一手だった、というものになりうるんじゃないか、というふうに今、とても思っている。
という話でした。
なお、12月1日に刷新した案内書きはそれから2週間足らずですでに2度、微修正がおこなわれており、1時間読書については読書用途以外のスマホはご遠慮いただくことが追加され、また、当初は1時間読書は「1ドリンクはオーダーいただく」という決め事にしていたけれど、これも、「1時間、飯食って、本読んで、過ごしたい」という人がいるはずなのに、つい、「1ドリンク制にしておかないと、ごはん屋さん的な使い方がされてしまうのではないか」という警戒とそれへの対策みたいな感じで入れてしまっていたことに思い至り(というかスタッフから指摘されて思い至った)、まったくもってそうですわ、いったい、誰を向いてやっているんだ、誰を幸せにするためにやっているんだ、となったため修正した。