コーヒーベルトとティーベルト(『カウントダウン・シティ』を読んで)

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コーヒーを毎日飲みたい。
毎日飲みたいというか一日3,4杯は飲みたいように体と気分ができているのだけど、次にコーヒー屋さんに豆を取りに行くのが木曜日で、今日明日と営業があることを思うと残量的にそう自由に飲める感じではないためここ数日は抑制気味で、辛い。苦しい。
昨日も今日も営業開始前の時間に余裕があり、本読みつつコーヒー、みたいなことをしたかったがいたずらに減らしてはなるまい、というところで昨日は珈琲館へ行き、今日はドトールへ行った。コーヒーを遠慮なくガブガブ飲みたい。
それは珈琲館ないしドトールで読まれたベン・H・ウィンタースの『カウントダウン・シティ』の主人公パレス刑事も同じらしく、ルース・アンのやっているダイナーか何かで毎日コーヒーを飲んでいた。前作『地上最後の刑事』までは…
『カウントダウン・シティ』は、小惑星と地球の衝突によってもたらされる世界終末の3ヶ月前を描いたプレ・アポカリプス小説という言い方ももちろん正しいのだけれども、あるいはこう呼んでも間違いではないかもしれない、ポスト・コーヒー小説と。
コーヒーの供給が絶たれた世界で、人々は紅茶を飲む。ルース・アンの店でも出されるのは煮詰まったコーヒーではなくティーバッグにお湯を注いだ紅茶だ。闇市や自治区になっている大学などで、パレス刑事は目を光らせる。
「私はすがるような気持ちで料理などが並べられたカウンターを見ていく−−ここは別世界、経済構造がちがうかもしれない−−けれどもコーヒーはない」
横でヘロインを打っている男に対してぶつくさ言っているが、パレス刑事もさして変わらない、ただのコーヒージャンキーだ。
『カウントダウン・シティ』は前作に比べて舞台が広がっているというか、パレス刑事の移動する範囲が広がっているけれど、それは事件を解決するためなどではいささかもなく、「よそに行けばコーヒーにありつけるかもしれない」という淡い期待に基づいた行動だったのではないか。
そしてコーヒーを巡るパレス刑事の旅は、予想外の結末を迎える…!
というところで面白いので興味が湧いた方は読んだらいいと思うのですが、なんでコーヒーは途絶えて紅茶はずっとあるのだろう。
コーヒー農家は放り出して紅茶農家は放り出さないっていうのも考えにくいし、保存がきくとかなのかしら。まあ答えはわからないのだけど、ここでコーヒーと紅茶の生育地域を確認しておこうかと思う。
コーヒーベルトっていうのはよく聞くというかわりに聞くあれですけど、北緯25度と南緯25度の間なんだそうな。沖縄でコーヒーを栽培しているという話を何かで聞いたことがあるけど、沖縄はコーヒーベルトの北限なんだそうな。
それから、これは持っていた『紅茶の大辞典』(成美堂出版)にあったのだけど、紅茶にもティーベルトというのがあり、これは北緯45度、南緯35度の間なんだそうな。これは北海道アメリカトルコからオーストラリア南アフリカアルゼンチンの半分くらい、という範囲で、わりと紅茶って広範囲でいけるんですね、という感じがする。
だからって飲んでいる紅茶はアメリカ国内で作ってます、それで世界の終わりまでまかなえそうですっていう話ではない気もするし、まあ答えは求めていないのでいいのだけど。
そういうわけで3部作完結編、『World of Trouble』は去年の7月に出たみたいで、邦訳はいつになるだろうか。原作で読んでみようかなとかさっきはちょっと勢いづいていたのだけど、中学生レベルの英語力の僕にはきっと苦しいだろうし、さすがにやめておくべきか。でもいったい、世界はどうなってしまうのかというか、ウィンタースはどういうふうにこの話を終わらせるのか、とても知りたく、とても読みたい。そして今、とてもコーヒー飲みたい。